今月の論語 (2022年1月)
不如好学(ふじょこうがく)

子(し)曰(のたま)わく、
十室(じゅっしつ)の邑(ゆう)、
必ず忠信(ちゅうしん)丘(きゅう)が
如(ごと)き者(もの)有(あ)らん。
丘(きゅう)の學(がく)を
好(この)むに如(し)かざるなり。

子曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉。
不如丘之好学也。
(公冶長第五、仮名論語六四頁)

〔注釈〕先師が言われた。「十軒程の小さな村にも、私ぐらいの心に誠ある人は必ずいるだろう。しかし私の学を好むのに及ぶ人はいない」。

会長 目黒泰禪

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。昨年中本会に賜りましたご仁援に厚く御礼申し上げますと共に、本年も変わらぬご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

 孔子の歳を一つ越えた。犬馬の齢を重ねるだけで申し訳ないが、横にならないだけでも有難いと思う。誰しも身体と頭脳はしっかりしていたいと願うが、昨年十月の論語温習会で、記憶力の低下を痛感させられた。孔子は晩年になって周易を愛読し「韋編(ゐへん)三(み)たび絶(た)つ」と『史記』に記されている。七十歳前後で易を学ぶとなると記憶の衰えも加わり、繰り返し竹簡を繙いたであろう、簡の韋(なめしがわ)の紐が幾度も切れたのは当然でもあろう、などと不遜な考えすら浮かんだ。

 ところが、『脳死』・『脳を究める』等の脳科学分野の著作も多い立花隆の本を読んで、物忘れが激しくなったり人の名前が出てこなかったりするのはごく小さな脳梗塞によるもので、脳は複雑で精緻な構造だから直ぐにバイパスが通って機能が保全されるという主旨に出会った。「適切に使っていけば、脳というのはとことん持つ」とある。脳科学者の論文にも、脳にはおよそ一〇〇〇億個の神経細胞があり、使えば使うほどネットワークが形成されるとある。適切に使うとは、大いに学ぶということに他ならない。

 孔子は自ら「私ほど学を好む者はいない」(公冶長篇)と公言し、「学問は、逃げるものを追いかけて、追いつけない時のような気持で勉強しても、それでもまだ見失いそうで心配でならないものである」(泰伯篇)、「かつて一日中食べず、一晩中寝ずに考えたことがあるが、何の得るところもなかった。やはり書を読み師について学ぶのには及ばない」(衛霊公篇)とまで言われる。飽くまで学ばず、不遜に先走ったことを自省している。

 今茲こそ「學(まな)ばざれば、便(すなは)ち老(お)いて衰(おとろ)ふ」(朱(しゅ)熹(き)・呂(りょ)祖謙(そけん)共編『近思録』)を心したい。

 村里や 眞心もてる 人あれど 好學われに まさるものなし
 (見尾勝馬『和歌論語』)

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